民俗學の泰斗、柳田國男の、研究の一部である。 一応、「人間が幸福になる道」を探る一環で、日本人が昔からどういふ妖怪を「共有」してきたかについて一応、広範囲に調査の手を広げる。 最古の『天狗の話』(明治四十二年三月)から『妖怪名彙』(昭和十三年~十四年)に至るまで、結構長い期間、柳田がその辺で書いてた、妖怪に関するいろいろが収録である。 著者が幼少期、祠の中にある石を触って、土弄くって遊んだ折、太陽が多数見えた、といふ実際の経験略して実験から、幻覚がいかに共有されるかについて、書いた文章は昭和だった。雑誌へ掲載、発表順に並んでないので若干困る。 著者は、明治期のインテリとして、「日本多民族説」を当然のやうに振り回してゐた。ただ、それについて、「自分達は先住民族を弾圧迫害した者の末孫」といふなんぞ、贖罪意識かなんかがあり、其への慰霊をやるといふ意志、また実在した「本州先住民族」としての「やまひと」の調査が、なんか入ってゐる。その、妖怪じみた異人は、平地人と交流し、ロールモデルのやうなものとなり、迫害され山へ追ひやられたが均質化は一応被ってる、らしい。 この辺について、著者は発表時に交流があった南方熊楠による、「やまひと」批判があるのだが、本著には解説がない。両者の往復書簡で、南方熊楠説の、ナマケグマに関する、蟻塚をぶっ壊すベアクローを持ち、蟻を食べるときにはびろーんてなる唇で大きな音を立て、「フード被った」やうな頭をし、「人食ってるに決まってる」といふ情報の傳播してできたのが東アジアの「広がる唇を持つ妖怪」といふのは一応まあ言及がある。その狒々像へ著者は「本州先住民族への意味付け」、お話の中でおさる系妖怪とホモサピ系が混ざってんぢゃねえかと疑問を持つ。でかういふ、明治期にやった、天狗が「西欧のフェアリイ」のやうなケルト背負ってる、明るい海系のアレと対称的に、山岳系で暗いものでさらに武士道の基礎を作った先住民族であるといふ説は、大正期にはずんずん萎えて行き、昭和ではどっかへいく。 その妖怪に関する情報の分析は一応スケプティカルである。「あなたの田舎で妖怪はなんと鳴くか」といふ問ひへ、「蒙古襲来から」モッコ、モーといふ、といふ説明へ疑問を抱き、他の膨大な資料から「咬もう」の系統ではないかと言ったり、鬼や河童のやうなメジャーらしいアヅキトギ、アヅキアラヒに関し、「研いでるのを見てないのに共通して「小豆を研いでる」と説明される」とか言ってゐる。
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